先日、晩ごはんに野菜の煮物がでた。
私は、作っている最中の、
ナベの中を覗き見して驚いた。

やはり、ちくわは美しい、と。
すぱりとして鋭いくせに、またおっとりした、この可愛いちくわの気迫を、
木で出して見たくてたまらなくなり、
それからノミを研ぎ、小刀を研ぐのに2、3日かかって、
わき目もふらずに彫りはじめて7日目にやっと出来た。

私は、魚肉練りモノなら何でも興味の無いものはないが、
造型的意味から見れば、彫刻に適するものと適さないものとがある。
私は、練りモノに友人がはなはだ多く、じゃこ天、はんぺん、ゴボウ巻きなどは、幼馴染。
なると巻きなどは、親友の方であり、
あの渦巻きを見ると、目が回ってしまい往生するが、
大好きである。
しかし彼は、彫刻にはならない。形態が彫刻に向かない。
カニカマも其点では役に立たない。
おでん種には、薩摩揚げのような堂々たる者もあって、
一寸彫刻に面白そうに思えるが、これがやはり駄目。
彫刻的契機に乏しい。
作れば作れるが、作ると、かえって自然の美と品位とをそこない、
彫刻であるよりも玩具に近い、又は、文人的骨董に類するものとなる。
その点で、ちくわは、大いに違う。

彼はその形態の中にひどく彫刻的なものを備えている。

しかも、私が彼を好むのは、むろん彫刻以前からの事である。
インドのことわざに、
『子供は皆、ちくわを好む。』
と、いうのがあったが、
私も子供の頃は、ちくわ三昧の日々を過ごした。
おでん、筑前煮、煮物、ちらし寿司、うどん、焼きそば、野菜炒め、などの具として使用される
ちくわに魅了される楽しさを、今でもやや感傷的に思い出す。
思いがけなく、スーパーで磯辺揚げなどを発見すると、まったく動悸のするほど興奮する。今でもする。
ちくわの彫刻的契機は、その全体のまとまりのいい事にある。
部分は複雑であるが、それが一つの穴によって統一され、しかも両端の白い部分が、程よく品があり
中央部に向かってだんだんと茶色になっていく様は誠に美しく、
焦げ目のところの、しわしわの意匠が面白い彫刻的な形態と肉合いとを持っている。

ちくわの美しさの最も微妙なところは、
横から見た時の、真ん中が少しヘコンだ形をした線にある。
中央部のしわしわから、両端へかけて緩やかな坂を、すっと上へ立ち上り、
一つの小さな頂点を作って再び波をうって下の穴の方へなだれるように終っている具合が、
他の何物にも無いちくわ特有の線である。
ちくわの上縁と下縁の単一な曲線と穴の対照が美しい。ちくわの持つ線の美の極致と言える。
その線は製造元によってそれぞれの特色を持つ。
又、ちくわを横から見ず、穴側から見てもすばらしい。
向こうが見えるからである。
木彫では、この穴の彫り方によって彫刻上の面白さに差を生ずる。

この貫通しているものを、貫通して彫ってしまうと下品になり、がさつになり、ブリキのように堅くなり、
遂に彫刻性を失う。
これは肉合いの妙味によって穴の意味を解釈し、
木材の気持にしたがって処理してゆかねばならない。
多くの食品サンプルが下品に見えるのは、この点を考えないためである。
すべて穴を実物のように深く作ってしまうのは、浅はかである。
丁度、逆なくらいに作って良いのである。

木彫に限らず、この事は彫刻全般、芸術全般の問題としても真である。
むやみに感激を表面に出した詩歌が必ずしも感激を伝えず、がさつで、陳腐な事があり、
かえって逆な表現に強い感激のあらわれる事のあるようなものである。

そうかといって、ちくわの穴を、ただいたずらに浅く彫ればそれこそ幼稚で、愚鈍で、
不味そうなちくわになってしまう。
穴が貫通ていないのに、貫通している様に感じる事。
これは彫刻上の肉合いと、面の取り扱いとによってのみ可能となるのである。

しかも彫刻そのものは、そんな事が問題にならない程すらすらと眼に入るべきで、
まるでちくわの穴の深浅などという事は気のつかないのがいいのである。
何だかあたり前に出来ていると思えれば最上なのである。それが美である。
この場合、彫刻家はちくわのようなものを作っているのでなくて、
ちくわによる造型美を彫刻しているのだからである。
それ故にこそ彫刻家は、ちくわの形態について厳格な科学的研究を遂げ、
その形成の原理、製造工程を十分にのみこんでいなければならないのである。
微細にいった知識を持たなければ安心してその『ちくわ性』を探求する事が出来ない。
ちくわだからといって、いい加減な感じや、あてずっぽうでは、かえって構成上の自由が得られないのである。
自由であって、しかも土台のあるものでなければ真の『ちくわ美』は生じない。
出来上がったちくわは、思いの半分にも及ばないが、
毎日、ポケットに入れて持って歩いた。


飯屋でも、それを出して見ながら飯をくった。
妻が、私にも持たせてくれとせがんだ。
私は、嫌だと言って、持たせてやらなかった。
今日も来てくれてありがとうございます。
(僕の敬愛する高村光太郎の、素晴らしい超名文です。→ 『蝉の美と造型』
ご存知ない方は是非、読んでみてください。検索すればネット上で読めます。
僕の『ちくわの美と造型』は
ビートルズのコピーバンドをやるようなモノなので勘弁してください…。)
合掌。
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- 2011/02/01(火) 07:54:00|
- 木のおもちゃ/オリジナル工芸品
-
| トラックバック:0
-
| コメント:15
そうですね。わたしは専門学校でチョコッと彫塑おしえてるんですが、初心者は耳の穴、鼻の穴をまじめに掘りますね。一度、型取り経験するとやらなくなるんでしょうが。
わたしは、関西人に忌み嫌われている、ちくわぶ派です。でもあれはポッケに入れる気がしない。
- 2011/02/01(火) 10:31:33 |
- URL |
- イワノビッチ #-
- [ 編集 ]
私はちくわを見るとたまにテレビに出てくるちくわの笛吹きおじさんを思ってしまいます
ちくわに穴を開けて笛にしてしまうおじさんです
そんでもっていつも心配になります
そんなにちくわ笛を作ったら後で食べるの大変でしょうに って
夏には腐って臭くなるのかな? って
それとお話と全然関係ありませんが私の特技ですが おもちゃのウクレレでブルースを弾くことです
ちくわの笛のほうが芸術的にはやっぱ上なんでしょうね
- 2011/02/01(火) 14:15:02 |
- URL |
- げんよう #SEFye3cg
- [ 編集 ]
コメントありがとうございます!
そうですそうです。ふかぁ~い穴掘りますね。
『型取り経験するとやらなくなる説』は、なるほど。合点。
ちくわぶ、うまいですよね。
でも、ちくわぶは彫刻的契機に乏しいですよ。えぇ。(笑)
- 2011/02/01(火) 18:42:25 |
- URL |
- シド工 #-
- [ 編集 ]
コメントありがとうございます!
いますねぇ…。ちくわ笛おじさん。
我々、ちくわ業界にとっては邪道ですね。えぇ。食い物を粗末にするなってんです。(笑)
ですから、「玩具のウクレレでブルース」の方が、数段上だと思います!!!
切に切に、アップ希望します!見たいです!
> 私はちくわを見るとたまにテレビに出てくるちくわの笛吹きおじさんを思ってしまいます
> ちくわに穴を開けて笛にしてしまうおじさんです
>
> そんでもっていつも心配になります
> そんなにちくわ笛を作ったら後で食べるの大変でしょうに って
> 夏には腐って臭くなるのかな? って
>
> それとお話と全然関係ありませんが私の特技ですが おもちゃのウクレレでブルースを弾くことです
> ちくわの笛のほうが芸術的にはやっぱ上なんでしょうね
- 2011/02/01(火) 18:55:54 |
- URL |
- シド工 #-
- [ 編集 ]
はーーーーそうですか
「玩具のウクレレでブルース」の方が、数段上ですか
なんかとても嬉しい気分です
では早速 玩具のウクレレを探しに行きます
ところで私は若い時から落語のレコードを聞くのが大好きで 結論が 志ん生が一番凄くて次に3代目桂 三木助が粋だなと思っています
関係の無い話ばかりですみません
それと由利徹の縫い物の名人芸はもう世界的な名人芸ですね、うっかり忘れてました
有難うございました
- 2011/02/01(火) 19:22:04 |
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- げんよう #SEFye3cg
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ほーーーーそうですか
私は了見が狭いので好きな落語家って限られてますが基本的には落語好き好き禿げ親父です
私は 男として完璧 だったんですねーーー
驚き桃の木山椒の木
ところで趣味が合いますねーーーー
ウクレレの件はマジで買いに行きます
可楽師匠。 いいですね
- 2011/02/01(火) 20:33:59 |
- URL |
- げんよう #SEFye3cg
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ウクレレブルース楽しみにしております!
ホント、趣味があいますねぇ。
二子玉川の展覧会、伺う予定でおりますので、よろしくお願いいたします!
- 2011/02/01(火) 21:49:48 |
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- シド工 #-
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元窯さんの展覧会に,一緒に行きましょうか。うちは二子玉から3つめの駅です。よかったら家にも寄ってもらって。。。
- 2011/02/03(木) 11:35:23 |
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- イワノビッチ #-
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