「これはいったいどうゆうことや。」

と、この紙切れを前にして妻は尋問してきます。
うっかり隠すのを忘れて、ほっぽらかしていた僕のデッサンです。
妻はこれを見て、すぐにピンときたそうです。
こいつ雪だるまを彫る気だな、と。
「頼むから売れるモノをこしらえておくれ。」
と、言われましたが
もう作ってしまったので、ハイハイと、いつもより素直に説教を聞けました。

『雪だるまちゃん』です。

おもいっきり馬鹿馬鹿しいモノを、無性に作りたくなる時があります。

ここのところ忙しかったので、脳みそが『馬鹿』を欲していたのではないでしょうか。

けっこう大きくて、20センチ位あります。

雪だるまを作って、だいぶ僕は満足しましたが…。
まだ、もう一つのデッサンを立体化していないのです。
「雪だるまのデッサン」というインパクトに、隣の四角いデッサンを、妻は見過ごしました。
僕は、下を向きながら説教を聞き、その実、舌を出していたわけです。
このくらいでなければ彫刻家なんて、つとまりません。

四角いデッサンの話は、また後で。
そんなこんなで。
去年の暮。
『彫刻家が作った道具展』に来て下さった皆様、誠にありがとうございました。
木彫マリオネットの『いもむし君の神様』を馬にのせて展示しました。

馬は以前作った別の作品ですが、ちょうどピッタリでよかったと思います。

小品の木彫も、販売しました。
『魚乗り童子』です。

『龍くん』です。

『火星人とUFO』です。

『こうもりちゃん』です。

来られなかった方、展示の様子を動画でどうぞ。
木彫マリオネットの『いもむし君の神様』は、現在
東京の飯田橋にある
パペットハウスさんで展示販売中です。

このように、他にも色々な劇人形がある素敵なお店です。

お近くにお越しの際は是非のぞいて見てください。
神様のアウトテイクです。
そして、また次の木彫マリオネットを作り始めました。

今回も、出たとこ勝負の行き当たりばったりで彫って行くので、
どんなモノが出来るかわかりませんが、よちよちやっていきます。

いつもはクスノキを使っていますが、今回は「桂」の木を使いました。
赤桂という品種で、高級品です。
大きさはこれ位。

クラシックギターと同じ位です。
調子に乗ってまたデカイのをやってしまいました。
大きいのは時間もかかるし、大変だけど作っていて楽しいのです。
どんなのが生まれるか、ワクワクします。
ちょこっと前ですが、こんなのも彫りました。

「コウノトリと赤ちゃん」というお題で、ご注文して頂いたものです。

手のひらサイズのモノです。

お題だけ出してもらって、後はお任せの仕事だったのですが、ありがたいことです。
楽しくって、この赤ちゃんみたいな顔になってしまいました。

ちくわ一門と記念撮影。

うちの、ちくわ一門の高弟に『さやいもむし君』がおりますが、
その『さやいもむし君』を頼まれたので、新たに作りました。
まず、「さや」をざっくりデッサンします。

中に入る「いもむし君」を旋盤で荒彫りします。↓
荒彫りがすんだ「いもむし君」とザックリデッサンの「さや」

「さや」を万力で挟んで、穴を彫っていきます。

「いもむし君」が入るかどうかチェックします。

入りました。

万力から外して、「さや」の形を鋸で切り取ります。

「さや」の形を整えていきます。

「いもむし君」の触角も彫っていきます。

細部までしっかりと。

「さや」も丁寧に仕上げていきます。

このくらいでいいでしょう。

「いもむし君」の顔を彫って完成です。これから着色工程に入ります。

『さやいもむし君』の後ろに見えるのはこれです。
まだ未完成ですが、『びっくりする猫』です。

さらに、同時に、色々な作品を制作中です。
『木彫ネクタイ』です。

ネクタイをもっていないんで彫りました。
先ほどの『コウモリちゃん』も注文頂いたので、作り始めています。
ザックリとデッサンして、バンドソーで切っていきます。

切れました。

さらにいらない所を落としていきます。

落ちました。

新しい『コウモリちゃん』はちょびっと前のと違いますが、なんだか良くなる予感がします。
それから、鳥の「ハシビロコウ」をまた彫ってみます。(写真左)
今度は、ちょっと可愛くしてみようかと思います。

それから、「オートマタ」なるものを作ってみようと思って仮組みしました。

こんなふうに動きます。
あまりの馬鹿馬鹿しい動きなので、クラクラするほど脳が喜んでいます。
ここから全て、彫り込んで行って最終的には『みたらし団子ちゃん』が動くという
アホオートマタにして、女房を泣かせていきます。
それから、
お雛様。荒彫りの状態です。ご注文品。

以前作った『お雛様』をご予算に応じて、サイズを小さくしました。手乗りお雛様です。
そして、
ニューコウモリちゃん。

プラス、
さやいもむし君。

お雛様の形を整えていきます。

ひたすら彫刻刀を動かして…。
だいたい彫り終えました。

眼の入る場所に穴をあけて、次は着色です。

『さやいもむし君』の着色も一緒にやります。
全体に、薄く白を塗ります。

明るい緑を塗ります。

濃い緑で変化をつけて、屏風に黒、頭にも黒を塗ります。

さやいもむし君には黄色を薄くぬります。だいぶ深みと立体感が出てきました。

お雛様の下に青と赤を塗ります。屏風とさやいもむし君にさらに変化をつけていきます。

屏風に金を塗ります。

座布団の模様を描いて、着色が終了。あとは眼を入れて完成です。

お雛様です。

なんだか分からないですが、ちゃんとお雛様になっています。

「いやー、ひまね。」

「わ~!」

「あれ?」

「いたいいたいいたい!」

「わ~!」

「わ~!」


「帰ろう。」
「やっぱりここがいいわ。」

「わ~!」

「ちょっとなにすんの。」

「いや、ほんと、ちょっとなにすんの。」

「ほっといてよ。」

「ほんと、ほっといてよ。」
『さやいもむし君』も完成しました。

さやカヌーです。


今回もいい表情に彫れました。


めずらしくサインを入れました。

この『さやいもむし君』は海外に旅立つことになります。

さやカヌーで気をつけて行ってらっしゃい。
話は変わりまして…。
先日、こんな本を読みました。

ざっくり言うと、砥石(といし)の本です。
刃物を研ぐ時に使う、砥石(といし)です。
中身はと言うとご覧の通り、砥石の写真ばかりという
変態書籍です。

僕はこの本を、電車の中で目を血眼にして夢中で読みました。
それほど面白い本でした。
吊革につかまってる僕の前の人は、石の写真を見る気持ち悪い人と思ったかも知れません。
しかし、そんなことなんてかまっていられないほど、勉強になる本でした。
普段、何気なく使っていた砥石とは、こんなにも美しいモノなのかと思いました。
そして、刃物同様、深いのです。
僕は、砥石のもつ強い造型と、凛とした美しさを、
木で出してみたくてたまらなくなりました。
僕はすぐさま、砥石を彫るための木端をさがしました。
この木がちょうどいいようです。下はモデルの砥石。

木端は少し大きいので、モデルの砥石を重ねて、鉛筆でなぞります。

出来ました。僕はこの方法を思いついた時、天才だと思いました。

鉛筆の線の通りに鋸で切っていきます。

出来ちゃった。

と、若い時の自分は、ここで思ったでしょう。
しかし、今ならはっきり言えます。
「まだ出来ていない。」 と。
次に、彫って行くわけですが、
ここからの作業が困難を極めました。
「もう、出来てるやん?」
と、言う『甘え』との闘いです。
木端の山に、うっかり置いて見失いかけたりもしましたが…、

僕は『とうふちゃん』を彫りあげた男です。
砥石も、なんとか納得できるレベルまでこぎつけました。

絶対に、ギャグでは終わらせない。砥石の持つ美しさを必ずモノにしてやる!と意気込んで作りました。
ですが、やっぱり顔をつけました。
『砥石くん』です。


四角いデッサンは『砥石くん』だったのです。


雪だるまよりも、作っていて気持ちよかったです。

若干、平面精度が悪い、お茶目な『砥石くん』です。

砥石とくれば、当然、刃物です。
『砥石くん』の相棒に、『千代鶴是秀ちゃん』(ちよづるこれひで)も作りました。

千代鶴是秀(ちよづるこれひで)とは、伝説の鍛冶、名工中の名工と言われる、打刃物職人です。
詳しくは、
千代鶴について書いた僕のブログ記事をご覧ください→
千代鶴是秀一木で彫り出しています。

千代鶴是秀をモデルに、千代鶴是秀を使って、千代鶴是秀を作っているところです。

細部は、これまた名工の清忠(きよただ)を使って彫ります。

こういう道具を、たまたま使えている僕は、本当に幸せものです。
冠(かつら)の部分の着色は上手くいきました。

祖父、から父、そして僕と使ってきた道具の凄みがちょっと出せたと思います。
『千代鶴是秀ちゃん』にヒゲが生えているようですが、これは千代鶴是秀の『銘』です。梵字です。

冠(かつら)をはめ込んだ時に出来た、柄のヒビもリアルに再現しました。

『千代鶴是秀ちゃん』と『砥石くん』は切っても切れない縁で結ばれています。

刃物をモチーフにして彫刻するなんて初めてでした。

普段見慣れている鑿も、彫刻的な眼で見ると、随分ちがって見えました。

本当に、道具のフォルムは美しいと思いました。

特に、首から穂の部分の造型(千代鶴是秀ちゃんの首の部分)に感じ入ってしまいました。

鉄を熱くして、叩いて、こんな綺麗なモノを作るなんてすごいなぁと思いました。

本物の千代鶴是秀と記念撮影。

雪だるま、砥石、鑿と作って、すっかり僕の脳は、「馬鹿」で満たされました。

また今年も頑張れそうです。
出来たてのみんなで記念撮影。


このグループもなかなか良い一門です。

お転婆者のお雛様もいい味だしています。


いもむし君の奇行も相変わらず。
僕の、「二大作るの大変だった」コンビです。とうふちゃんと砥石くん。

雪だるまちゃんも気に入っています。

千代鶴是秀ちゃんにも加わって頂いて。

さやいもむし君と今回作ったさやいもむし君です。

おてんばお雛様。

コショウのビンちゃんも。

そうめんとオタマジャクシくんが入って。

最後にちくわが入って一門そろい踏み。

新入りの千代鶴是秀ちゃんにちくわ自ら近寄り、記念撮影。

同じく、新弟子、雪だるまちゃん、砥石くんと。

そんなこんなで、今年初のシド工日記でした。
皆さま、もう1月も後半です。
完全に新年明けきりました。
このあたりで、
おめでとうございますと言っていいでしょう。
いつも読んで下さる方々、ありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

今日も来てくれてありがとうございました。
- 2012/01/24(火) 15:25:10|
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『こうもり』が気になってしょうがない。
きっかけは、こうです。
僕はキチンとした傘を持って無くて、いつもビニール傘か、折りたたみの汚い傘を使っています。
傘が欲しいなーと、何気なくつぶやいたら、
「あんたは、こうもり傘が良いんじゃない?」
と、妻が言いました。
こっから僕は、こうもりの事が
気になってしょうが無くなってしまったのです。
それから僕は、
傘の事なんか忘れて、こうもりの事を図鑑で調べました。
ボンヤリと、こうもりの事は思い浮かべる事が出来ますが、
実際、身体がどうなっているのかは、やっぱり分からないものです。
写真をまじまじと眺めてみると、これが、めっぽう面白い形をしています。
僕はもともと、動物が好きで、小さい時から昆虫やら魚やら猫やらを飼っていました。
小学生の時、田んぼの中をプカプカと漂っているカモの親子を見て、どうしても飼いたくなってしまい、
親ガモと大格闘の末、子ガモを捕獲。
その時、持っていた、小さい透明プラスチック製の飼育箱(フタがアミ状で緑のやつ)
に子ガモを入れて持ち帰りました。
透明プラスチックの容器にピッチリおさまった子ガモを見て、
僕は、これはさすがにマズイと思ったので、
少し水を入れてあげました。
もちろん、猛烈に怒られて、親ガモのもとへ返しに行きました。
そんな動物好きの僕は、
今、こうもりの美しさに心を打たれています。
こうもりの姿を見て、一番先に興味を覚えたのは、獣なのに翼があるその形態でした。
不思議でならないその姿。
僕はたちまち、木彫でこうもりを作ってみたくなりました。
さて、まず、デッサンです。
彫刻家が何かを作りはじめる時は、まずデッサン。
こうもりの持つ魅力、表現しようとする全ての要因を考え、
自分の内部でデッサンしなければ良い作品は生まれません。
僕もデッサンには、なみなみならぬ情熱を傾けます。
手の内を明かすようで、
本当は見せたくないのですが、特別にお見せしましょう。↓

バッテンしたヤツと、オッケーの差が良く分かると思います。
線の、生き生きした感じが全然違いますね。
この、とうふくんを作った時に描いたデッサンもお見せします。

これは、とても苦労した思い出があります。↓

なぜなら、すぐ描けてしまうからです。
ですが、あきらめず何べんも描き直している苦悩の跡が生々しく残る画面だと思います。
おたまじゃくしくんを作った時のデッサンもお見せします。

これは、全方向からデッサンしています。僕にしては丁寧な仕事です。↓

キチンと寸法まで書きとめています。
彫刻家のスケッチブックは、設計図でもあるのです。
最後に、僕の代表作。ちくわを作った時のデッサンです。

穴の部分のデッサンを、何度も何度も描いています。
とても難しい仕事でした。

「ちくわたべたい」などと書いてあるのが見えます。
たぶん、必死にデッサンしている途中、無性に食べたくなったのでしょう。
作家のスケッチブックは、時として日記にもなるのです。
このように、紙の上で研究してから、彫刻家は木に挑むわけです。
こうもりのデッサンはあれだけではなく、
他に沢山描きましたが、全て気に入らない出来でした。
とてもお見せできる代物ではございません。
あれがベストなので、このくらいで勘弁してください。
それでは、
デッサンを元に、夢中で彫ったこうもりをお見せしましょう。
タイトルは、物凄い悩みましたが、
『こうもりちゃん』です。

実は、動物園に、こうもりをデッサンしに行ったのですが、暗くて見えませんでした。

特に、頭部の形が見えにくく、形態をつかむ事ができませんでした。

それならば、ほっかむりをさせて、お茶を濁すしかありません。

動物園で見たこうもりは、真っ暗の中、ずーっとぶらさがってノソノソしていましたから、
身体だって見えません。
後ろ姿だって、そうやすやすと見せてはくれないのです。

見えないからって、作らないわけにはいきませんから、出鱈目に作ることになります。

とにかく、真っ暗ですから、こうもりの色だってわかりません。

ですから、こうもりと言えば、黄金バットですから、金色に塗ることになるのです。

では、ほっかむりが、何故、赤?とお思いでしょう。

好きだからです。

こうもりは、やはりダークなイメージです。

ですから、当然、目の下はクマが出来るはずです。

こうもりは真っ暗闇の住人ですから、「むははははは!」と笑うはずです。

ですから、当然、こんな顔になるのです。

完全な理論武装をしてしまいました。
もう誰も、『こうもりちゃん』の悪口は言えないはずです。
僕の妻でさえも。
自信満々で、『こうもりちゃん』を見せました。
いつもの僕とは、ちょっと違います。
完璧な理論武装をしています。
膨大な量のデッサンも見せて、ビビらせてやるんです。
僕は妻の前に行き、
『こうもりちゃん』を手に、
「むははははは!」
と、こうもりちゃんが笑っている感じで言いました。
妻は、片方の口の端だけ少し上の方へあげ、頬を少し痙攣させて、
「フッ」と笑いました。身体は少し震えています。
よかった!
とっても喜んでくれたみたいです。
僕は嬉しくなって、また、
「むはははは!!」
と、さっきより大きく笑いました。
今日も来てくれてありがとうございます。
最後にちょっぴりお知らせです。
僕が彫ったこの女性像が、東京の六本木にある、国立新美術館で展示中です。

新制作展という団体展です。

会期は、
9月14日(水曜日)から26日(月曜日)まで。
10時から18時の間やっています。(入館は17時30分まで)
お近くにお越しの際、ぜひご覧ください。
よろしくお願いいたします。
最後に、
こうもりちゃんの、かっこいいシルエットです。
- 2011/09/13(火) 18:57:37|
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最近、妻に隠れてコソコソ作る絶対に売れない作品より、
堂々と作っていられるモノが続いたので、
なんかだか調子が狂います。
自宅で万引きしている様なもので、スリルがありません。
そんな時、
ふと、アトリエに転がっている木端に目がとまりました。
それがテーブルコショウに見えてしまい、
僕はコショウのビンの美しさを
木で出して見たくてたまりなくなり、
それから鑿を研ぎ、小刀を研ぐのに二三日かかって
脇目も振らずに彫り始めて七日目にやっと彫りあげました。

これは完成まで、見つからずにすみました。
物凄く馬鹿馬鹿しいモノなので、たっぷりスリルを味わうことが出来たのです。
いわゆる、『身の危険で感じる』というわけです
名前を、コショウくんか、ビンちゃんにするか悩んでいたので、妻に相談してみました。
「コショウくんか、ビンちゃん、どっちがいいだろうか?」
このような、どうでもいい悩みを打ち明けてしまったのがいけなかったのでしょうか。
少し不機嫌になったようにみえます。
もしかしたら、
僕は、妻をしくじってしまったのかもしれません。
でも、妻はそんな事で
僕を責める様な、心の狭い人ではありません。
自分に甘く、夫に厳しい女性が多いものですが、
妻は自分に厳しいタイプです。
「どうして結婚したのか。」
「しつけが甘かった。」
「もっと叱っとくべきだった。」
などと、
自分を責めますから、
僕は気分的に随分と楽です。
結局、名前は
『コショウのビンちゃん』。
ひとりで決めました。
もう一つ、
『コショウのビンちゃん』と
一緒にコソコソ隠れて作っていた作品があります。

『さやいもむしくん』です。
余談ですが、
コソコソ隠れて作ったり、
僕は随分と妻を恐れているように聞こえますが、
そんなことは全然ありません。

なんの理由も無く危害を加えることはしないので、
僕は安心しています。

ただ、危害を加える理由が
僕に分かることが、
滅多にないのが残念です。



それから、
木彫の等身大の女性像が、仕上がりましたので
しばらく、ご覧下さい。↓

モデルは居ません。

13個の木をくっつけて、こしらえました。

ごく、薄く着色してあります。

1年位かかってしまいました。

よちよちよちよち、制作してやっと出来たのですが、

やっぱり、僕はガッカリしてしまいます。

こんなはずじゃなかった。なんて思います。

悔しいので、また違うの作ろうと思います。

しかし、ほんの少しですが
美しくできたかな?なんて自惚れます。
大正期を代表する彫刻家の一人、中原 悌二郎の妻の手記に、このような一節があります。
『中原は独り言のように「二か月もかかって作ったものが今度も誰もこんなもの顧みる者もなかろう。」と
憮然として申しました。 私は彫刻の事など、本当のところ分かっていないのですけど、小品ながら豊かに
深みのあるような美しいこの全身像を本当に見てくれる人も居ないとしたら、随分気の毒だと思いまし
て…。「こんなにいいのに、こんなにいいのに。」とつぶやいて居りました。』
僕は、この何とも美しい一節が大好きです。分かりすぎて涙ぐんでしまいます。
これはもう、我が家でもやるしかありません。
妻が、アトリエに来たところを見計らって、

「一年もかけて作ったものが、今度も誰も顧みる者もなかろう。」

「こんなにいいのに、こんなにいいのに…。」

御察しの通り、中原悌二郎の妻のようにはいきませんでした。

ここから、怒涛の駄目だしがはじまりました。
どんな事を言われたかは、涙があふれてくるので書けません。

駄目な所は作者が一番わかっています。

それを面と向かって言われると、随分精神の修行になります。

いわゆる、落語界でいうところの『蹴られる稽古』です。

しかし、
彫刻家になってから『蹴られる稽古』ばっかりしている僕ですから、余裕です。

「近所の人達がそう言ってたよ!あそこの彫刻家はハナクソ彫刻家だって。」
と、僕が一番気にしていることを平気で言う妻の言葉にさえ
負けずに、少し自惚れます。



荒彫りの段階がこうです。写真を参考にします。↓

で、こうなりました。


不思議かもしれませんが、やってることは凄く原始的です。
ただ、木を鑿で彫っていくだけなのです。




なぜ人体を、しかも裸を作るかというと、

「楽しい」からです。

本当は、色々、御託を並べた方がお客様も安心するのでしょうが、

頭が悪いのでそれが出来ません。

こういうことを言うのは野暮ですが、
めずらしく、ちょっと言ってみました。







こういうシリアスなゲージュツ作品と『コショウのビンちゃん』を作る脳は一緒です。

なにか、スイッチがあって切り替えてやっている訳ではないのです。

このふり幅の大きさに、ウソ臭さを感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、
僕は正直にやっています。

どちらも、僕自身なんだと最近は開き直っています。



そろそろ、明るくしましょう。 ゲージュツは陰気になっていけません。

『さやいもむしくん』と『コショウのビンちゃん』が、
新たに加わった『ちくわ一家』の集合写真です。↓

ますます、ナンダカワカラナイ集まりになってきました。

作ろうと思っても絶対つくれない組み合わせです。


計算してませんでしたが、ちくわがスッポリ入りました。

みんな、とっても、仲がよさそうです。

これからまた、どんな仲間が増えて行くのか僕も楽しみになってきます。

『コショウのビンちゃん』の微笑みは少しシニカルです。

自分の地味さを良く分かっている皮肉屋という設定です。

やはり、ちくわは威厳があります。

僕が、「裸で電球一つのアパートに住んでいた時」に、散々ちくわを食べたので、
思い入れがちがいます。

妻の評価はどうなのかと言うと、それほど喜んでくれませんでした。

コショウくんにするか、ビンちゃんにするかの質問が、
妻に絶望感を与えたのかもしれません。

気持ちは良くわかります。
僕だったらハリ倒します。

あげくのはてには、「こんなにいいのに、こんなにいいのに。」
と、
チラチラ横目で見ながら、つぶやいているのです。
随分、妻をイライラさせてしまってる気がします。

僕の幼稚園の時の卒業アルバムに、
「おおきくなったら、ちょうこくかになりたい」
と、書いてあります。
妻の気持ちは、
たぶん、こうです。
「大きくなったら、彫刻家に慣れたい。」
今日も来てくれてありがとうございます。
- 2011/07/25(月) 16:51:45|
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ちょっくら、差し障りがあるかもしれませんので、
場所は伏せますが、
東京の、三軒なんとか屋にある
有名な刃物の店、「土田なんとか店」というところがあります。
そこの御主人、土田昇氏が書いた本です↓

『刃物の写真集』というジャンルに、『変態書物』ではないのか?
と、感じられる方もいると思いますが、
そんなことはありません。
物凄く面白い
名著です。
興味のある方、ぜひご一読ください。
そこのお店は、千代鶴是秀という伝説の刃物鍛治にゆかりの深いお店でして、
千代鶴是秀がつけていた帳面も残っているそうです。(コピー)

それは、千代鶴自身が直接注文を受けて、作って渡した刃物を記録していた帳面のことです。
千代鶴没後、女将さんが庭で燃してしまっているところを、
燃すんならくださいと言って現在に残っている貴重な
モノだそうです。
僕が使っている千代鶴のノミは祖父が千代鶴に注文してあつらえたモノです。

ですから、その帳面に祖父の名前が載っているのではないかと、
三軒なんとか屋にある、そのお店に調べて頂いたところ、
『大正13年3月13日内丸ノミ』
と、祖父が購入した記録があったそうです。
なんだか、妙に不思議な気持ちで、とても嬉しくなりました。
87年前の祖父の行動が、今リアリティーをもって実感できた気がしました。
千代鶴の刃物は当時でも、とても高価なモノだったそうです。
3月13日に刃物を受け取ってウキウキしながら帰ったんだろうなぁと思うと、
亡くなった祖父と、しっかり会った心持ちになりました。
僕の中の祖父の記憶は、ごく小さい時、病院で管だらけで横たわっていた祖父だけなのです。
「つげ」という木で綺麗に柄をすげてあるそのノミは、
晩年、よいよいで動けなくなっていたのに、父に渡さず隠していたそうです。
「まだまだ死なんぞ…!仕事するのじゃ!!」
と、いった感じでしょうか。
これは、『職人の執念』みたいなモノかなぁと、僕は感動しましたが、
実際は少し違うようです。
というのも、父が若い時、酒が呑みたくて高価な千代鶴を一本くすねて売っぱらってしまったみたいなのです。
「あの時は、怒ったねェー。」
と言っておりました。
で、現在、酒にかわることなく、
残っているモノを、僕が使っているわけです。
三世代にわたる壮大な話を、もうひとつ。
そんな父の大昔、小さい時に、チラッとだけ見た
祖父が描いた、ある絵があるそうです。
それは、鬼が鏡をもって、自分のツノを恨めしそうに眺めている絵だったそうです。
「ツノがあるの嫌だなぁ…。」
「人間になりたいなぁ…。」
というモノガタリが連想されます。
たぶん、祖父はそれを立体化しようと、アイデアをデッサンしていたのでしょう。
でも、作品にはならなかったようです。
時は流れて、3、4年くらい前でしょうか。
それを、今度は父が記憶を頼りに、木彫にしようとたくさんデッサンをし始めます。
クスノキを製材して、木に「墨つけ」を済まして
さあ彫ろうという段階で止めてしまいました。
酒を飲む方が忙しくなってしまったからだと僕は推測しています。
そんなこんなで、しばらく放っておいたのですが…。
突然、その父が入院。医者から聞いた病名をネットで検索したら、難病指定。
これは、いかん!とホコリをかぶっていたその材木を引っ張り出して、急いで彫り始めました。
「参っちゃう前に完成させて見せなきゃ。」
と、今から考えると随分早とちりですが、
ガシガシ彫りまくっていました。
ちょうど、大震災の真っ最中。余震に揺れながら、停電の薄暗い中、仕事しました。

たぶん、100年近い時間がながれて、ようやくの立体化です。

一族の悲願を達成してしまいました。

この長い時間の流れの中には、千代鶴を売って呑んでしまった事件も入っているのです。

父の魔の手から逃れた千代鶴を使って制作したのも、考えて見ると面白い話です。

隠してくれていて、ありがとう、おじいちゃん。

難病にかかったはずの父は、すかっり回復して退院しました。

酒への一念というのは凄いです。千代鶴を売っぱらうこともすれば、病気も治すのです。

とにかく、参っちゃう前に完成出来たのには、変わり無いので、めでたしめでたしです。

話は変わりまして、
先日のギャラリートークで、すべり倒してしまい悔しくてたまりません。
アメリカの大統領は?
「ウィー・アー・ピープルの人でしょ?」
と答えた妻にまで、バカにされたからです。
(それを言うなら、イエス・ウィー・キャンです。)
ですから、どうしても次回は『受け』を頂きたい。
東京の日暮里(にっぽり)のことを思いだせなくて、
「日暮なんとか。」
と、言い放った妻を見返すんだっ!
僕はこんなもんじゃないぞっ!
と、言うことで考えました。
あやつり人形を作って踊らせ、トークしないでお茶を濁すという方法です。↓
ざまぁみやがれ!
と、妻にこのあやつり人形を見せました。
「頼むから、お金になることをやっとくれ。」
と、言われました。
今日も来てくれてありがとうございました。
- 2011/05/09(月) 20:24:59|
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等身大の少女像を、クスノキを使って制作して、
奥さんに酷評されてみよう!という荒行です。
モデル無し、行き当たりばったりの出たトコ勝負。
頭部、手首、身体、の3パーツに分けて作っていって
後で、くっつけようという魂胆でやっていきます。
まず、頭部です。

木のかたまりに、チョコっとデッサンして、
バンドソー(帯状のノコギリが縦に高速回転する機械)とチェーンソーで
要らない部分を取っていきます。
この状態の時が一番怖いのです。
どうやって彫れば良いのかわからなくなっちゃうのです。
しばらく木の塊を前に、ボンヤリして、
「もういいや…。」
と、あきらめてから、
よちよち、ノミとハンマーで彫り出します。
これが、荒彫りの大きいノミです。↓

しばらく彫っていると、『ハイ』になって来ます。
…で、
我にかえると、形が出て来ています。
ちょっと、様子を見るために、目とか唇を描いたりします。

手も同時に仕事していきます。

鏡があるのは、形の狂いを確認するためです。鏡に映すとおかしな所がすぐにわかるのです。

黒いシールを、瞳に見立てて様子を見ます。

少し進みました。 髪の毛をどうしようか迷ってます。

頭部は、これ位で、一時中断。
身体の仕事にかかります。
デッカイ木を、縦に置いて、チョロっとデッサンして、チェーンソーで彫っていきます。

また、モジモジしてから
ノミとハンマーでガシガシ彫っていきます。
これが、ノミとハンマー。↓

ちょこっと進みました。

木に直接、デッサンしては彫り、デッサンしては彫りの繰り返しです。

同時進行の、頭部と手もだいぶ出来てきました。
頭部は、後ろ頭半分を切って、中をくり抜き、目もくり抜いて、
義眼を入れてみました。

身体の方も、仕事をつめていきます。

頭部と手も、もっともっと、つめていきます。

だんだんと、使う道具も細かいモノになっていきます。
このような、彫刻刀をつかいます。↓


丹念に、丹念に
形を追いかけていきます。

ちょうど、この頃
『馬と少年』という作品も同時に制作していました。

ならんで、記念撮影。

そして、
いよいよ、首と胴体、手首を
つなぎ合わせます。
別々に作ると、やっぱり、チグハグですので
修正していきます。


細かい道具を使って、根気よく攻めていきます。
これが、細かい道具です↓

細かい彫刻刀を駆使して、ここまで来ました。


様子を見るために、お化粧してみます。

だいたい、出来てきたので、
台座になっている
木のかたまりを切り離します。

切り離して、足もよく作りこみます。
台座が無くても、キチンと自立しています。

まだまだ粘るんですが…。

この位になると、
ほとほと、飽きてきます。

ダメなところが、自分で分かり切ってしまい、
あきらめざるを得ないのです。
ここまで来るのに、
膨大な時間が流れています。
木の塊を前に、もじもじしていた僕と、今、仕上げをしている僕とでは勉強量が違うのです。
制作している内に、自分を追い越しているとでも言いましょうか。
それに気づいた時、がっかり暗い気持ちで「完成」とするような気がします。
奥さんに、「下手くそなマネキン」と罵倒されたは、この頃でした。

でもって、
ここらで、止めにして
色塗って仕上げます。
胡粉という、貝殻を焼いて砕いたものを塗ってから
油絵具で色を付けました。




以上、完成です。
ちょうど、この頃
『馬と少年』も完成したので
また、一緒に記念撮影。

今日も来てくれてありがとうございます。
- 2011/01/26(水) 19:06:16|
- 彫刻作品
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